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熊本地方裁判所 昭和47年(ワ)322号 判決

原告

X1

右法定代理人親権者

父兼原告

X2

同親権者母兼原告

X3

右三名訴訟代理人

荒木鼎

被告

Y1

被告

Y2

被告

学校法人熊本学園

右代表者理事

鰐渕健之

右訴訟代理人

東敏雄

主文

1  被告Y1、同Y2および被告学校法人熊本学園は、各自原告X1に対し、金三〇二万〇九七八円、原告X2、同X3に対し、各金三〇万円を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

4  この判決第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告らは各自原告X1に対し、金二三五二万七九〇二円、原告X2同X3に対し、各金三〇〇万円を支払え。

2  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

3  仮執行宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  原告X1は昭和四七年二月一七日当時熊本商科大学付属高等学校(以下、単に付属高校という。)第一学年に在学し、同校のクラブ活動の一つである空手部に属していたものであり、原告X2は原告X1の父、同X3は母である。

被告Y1および同Y2も当時付属高校に原告X1の上級生として在学しており、被告Y1は右空手部のキャプテン、被告Y2は同部員であつた。

被告学校法人熊本学園は私立学校法に基づき設立された学校法人であり、付属高校を設置している。

2  原告X1の受傷とこれに至る経緯

(一) 昭和四七年二月一七日放課後、付属高校に隣接する熊本商科大学体育館内にある同大学空手部の道場(付属高校空手部が同大学の許可をえて使用している。)において、被告Y1、同Y2及び原告X1ほか五名の部員が参加して、空手部の練習が行なわれたが、その練習が一旦終了した同日午後五時四〇分頃(付属高校においては、クラブ活動の時間は放課時限より午後六時三〇分までと定められている。)、被告Y1および同Y2は何ら責められるべき点のない原告X1ほか五名の一年生部員に対し、「主どま横着か。そこの床の上に仰向きに寝ろ。」と命じ、右六名を一列に並べて寝かせ、同人らの腹部を交々足蹴にしたが、原告X1に対しては、先ず被告Y2が踵で二回強く蹴り、次いで「Y2のでは効いておらん。」と言つて、被告Y1が「此奴が」と言いつつ、右足踵で力一杯蹴りつけたため、原告X1は激痛の余りその場に気絶してしまつた。

そして、同人が正気を取り戻すや、被告Y1は原告X1の耳元で「このことを言つたら、承知せんぞ。」と言つたうえ、右両被告は重傷で身動きができない原告X1に一顧だにせず引き揚げて行つてしまい、結局、その場に残つた前記五名の一年生部員が一時間位原告X1を介抱した。

右両被告の前記行為は懲戒に藉口したリンチにほかならない。

(二) 原告X1は同日午後八時頃帰宅したが、激しい痛みがあるので、山下内科医院で診察を受け、さらに島津外科医院に入院していたところ、膵臓破裂の重傷で、国立熊本病院に入院するよう指示されたため、同病院に転院し、何度も手術が行なわれた。一時は重態に陥つたこともあり、退院後も隔月、同病院に通院治療を受けている。現在においても、余病の肝機能障害があり、勉学や運動、入浴さえも従前のようにはできないばかりでなく、同病院医師からラジオ体操程度のことも禁止されている状態である。

3  被告らの責任

(一) 被告Y1、同Y2

原告X1の本件受傷及び余病は、前記のとおり被告Y1、同Y2の共同暴力行為に基因するものであるから、右両被告は共同不法行為者として、各自連帯して原告らの後記損害を賠償すべき義務がある。

(二) 被告熊本学園

高等学校の教師は学校教育法により学校における教育活動及びこれと密接な生活関係につき、法定監督義務者である親権者らに代つて生徒を保護監督する義務があるが、クラブ活動は特別教育活動の一環として行なわれ、これは前記教育活動に含まれるものであるから、クラブ活動の顧問教師(部長)は、部員を指導監督する義務があるところ、Aは付属高校教師であり、しかも競技自体危険性のある空手部の顧問(部長)であるから、部員に対し適切な注意指示を与えるとともに、練習に立会つて、その状況を監視し、本件のようなクラブ活動に伴なう傷害事件の発生を未然に防止すべき義務があるのに、これを怠り、空手部の運営一切をキャプテンである被告らに任せきりにして、事件当日も同部の練習に立会わなかつた過失により、本事件が惹起されたものであり、Aにおいて前記注意義務を尽くしておれば、本事件は防止できた筈のものである。

よつて、付属高校の設置者である被告熊本学園はAの使用者として、民法第七一五条第一項により、原告らの後記損害を被告Y1、同Y2と連帯して賠償すべき義務がある。〈以下省略〉

理由

一請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二1  原告X1の受傷とこれに至る経緯について

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  昭和四七年二月当時、付属高校空手部は、三年生五名、二年生七名、一年生七名からなつていたが、練習には主に二年生の被告Y1、同Y2と一年生の原告X1、B、C、D、E、Fらが参加して行なわれ、その内容は月曜日から金曜日までは、放課後の午後四時半頃から午後六時半頃まで、付属高校に隣接する熊本商科大学体育館内にある同大学空手部の道場(付属高校空手部が同大学の許可をえて使用している。)において、キャプテンであるY1の指図により、準備運動から始めて、体の各部の鍛練、空手の形(突き、蹴り等の動作からなるもの)、組手(二人一組で行なう試合形式のもの)等を行ない、最後に整理体操をして終わるというものであつた。

(二)  同月一五日、一年生部員全員がキャプテンの被告Y1に無断で練習を休み、翌一六日放課後、B、C、Dが空手部の部室へ行つたところ、同人らは被告Y1から練習を休んだことを問詰されたうえ、平手で頬を一回ずつ殴られた(そのため、Dは二、三日人の話が聞き取りにくかつた。)。その後、いつものとおり前記道場で午後六時半頃まで、練習が行なわれたが、原告X1、E、Fらは、前日に引き続き練習に加わらなかつた。

(三)  同月一七日木曜日放課後の午後四時半頃から、前記道場において、二年生はキャプテンの被告Y1、Y2、一年生は原告X1、B、C、D、E、Fが参加して、被告Y1、同Y2の指導の下に、いつもと変らぬ雰囲気で練習が行なわれたが、練習に一区切りがついた午後六時頃、被告Y1は前記道場の床に、右一年生六名をD、E、B、C、X1、Fの順に間隔を置いて一列に並ばせた後、仰向きに寝かせたうえ、両手を頭の下に置き両足を揃えて少し上げるという腹筋運動の姿勢をとらせた。その後、被告Y1がDの方から順々にFまで同人らの胃のところを右足の踵で踏みつけるように蹴りつけ、被告Y2が反対側のFの方から順々にEまで、被告Y1と同様の方法で蹴りつけ、結局、原告X1は、被告Y2から二回、次いで被告Y1から一回、胃の辺りを蹴られた。その際、被告Y2は前々日の一五日一年生部員が練習を無断で休んだことに対し、いわゆる気合いを入れるつもりで、先ずFを足蹴にし、そのためFが体を「く」の字にして苦しんでいることを知りながら、次いで原告X1を一回蹴つたが、体のバランスを崩したことから、「今のは効かなかつた。」と言つて再度蹴りつけた。被告Y1も同様に気合いを入れるつもりで、原告X1らを蹴つたのであるが、前記のとおりB、C、Dに対しては前日殴つているので、加減をして蹴り、一方、原告X1、E、Fに対しては、強く蹴りつけた。

(四)  その結果、右三人は激しく苦しんだが、被告Y1は一年生部員に対し、「どうして蹴られたか判るだろう。」、「今のはたいしたことない。これからサボつたらただではおかない。」等といい、苦痛のため起き上がれない原告を除き、被告Y1、Y2の指揮で整理体操が行なわれ、午後六時半頃、右両被告は一年生部員を残して部室へ戻つた。

〈証拠判断省略〉

そして、原告X1が被告Y1、Y2の前記行為によつて膵臓破裂の傷害を受け、島津外科医院に、次いで国立熊本病院に入院し、一時、重態に陥入つたことは、当事者間に争いがない。

2  社会的相当性の抗弁について

被告Y1、同Y2は、空手はスポーツであり、その練習中の行為は社会的相当性のある行為であつて、偶々右両被告の足蹴によつて事故が発生しても、それについて責任はない、と主張する。

空手は、もともと拳による突き、打ち、足による蹴りを中心とする武術であつたが、現在では攻撃を相手の寸前で止める等スポーツとして競技化されているのであるから、当の行為が練習行為として行なわれ、かつ社会的に妥当なものとして許容される類のものであれば、偶々これにより事故が生じたとしても、違法性が阻去される場合がある。しかしながら、〈証拠〉によると、前記空手部において、本件事故発生前、原告X1ら一年生部員に対し、その腹部を鍛えるために、鳩尾に拳を当てたり、仰向きに寝かせ腹の上に乗つて足で軽く踏む等ということは行なわれていたが、本件のように、腹を踵で踏みつけるように蹴るということは行なわれていなかつたことが認められ、右事実に、前記認定の被告Y1、Y2の行為の動機、態様、前後の状況、原告X1の傷害の程度等を併せ考えると、右両被告の行為は練習時間内に行なわれたものではあるが、練習行為としてではなく、その範囲を越えた暴行と認められるから、被告Y1、同Y2の右主張は採用しえない。

三被告らの責任について

1  被告Y1、同Y2

前記認定事実によれば、被告Y1、同Y2は、原告X1に対し、共同して暴行を加えたものであるから右両被告は共同不法行為者として、民法第七〇九条、第七一九条に基づき、各自連帯してこれにより生じた損害を賠償すべき義務がある。

2  被告熊本学園

(一)  Aが本件発生当時、付属高校教師であつて、同校空手部の顧問(部長)であつたことは、当事者間に争いがない。

私立高等学校の教員が、高等学校における教育活動の効果を十分にあげるため、親権者らの法定監督義務者の委任に基づき、これに代つて、生徒を保護監督する義務があることは、右委任の趣旨および学校教育法に照らし明らかである。空手部の活動が特別教育活動の一環として行なわれていたことは、当事者間に争いがなく、これは前記教育活動に含まれるものであるから、空手部の顧問教師(部長)としては、単に名目だけでなく、たえず部の活動全体を掌握して指導監督に当る義務があるというべきである。

この点に関し、被告熊本学園は、高等学校におけるクラブ活動は部員によつて自主的、自治的に行なわれるし、空手は他人の指導監視によつてその内在する危険を防止しうるものではないから、空手部(部長)といえども部員を指導監督する義務はないと主張するので、一言する。

なるほど、高等学校における運動クラブは、各種の運動の練習を通じ、生徒の自発的な活動を助長し、心身の健全な発達を促し、進んで規律を守り、互に協力して責任を果たす生活態度を養うことを指向しているものであるから、生徒の自主的活動が健全に発展するように配慮することは教育上適切である。

しかしながら、高等学校におけるクラブ活動が自主性を重んじ、自治的に行なわれることが必要であるからといつても、それが未成年で心身の発達が十分とはいえない高校生を対象に、しかも高等学校における教育活動として行なわれる以上、クラブの運営が生徒の活動に放任されてよい筈がなく、校長および運動部の指導教師は生徒の自主的活動が健全に行なわれるよう指導を尽すべきが当然である。また、空手に危険な面はあるが、適切な指導者のもとに、生徒の体力、技量、精神の発達の程度に応じた練習を行なうならば、その危険を防止しえないことはないのであつて、被告熊本学園が特別教育活動の一環として空手部を置いている以上、適切な指導をして危険防止に万全を期することも、また当然である。

とくに、高校一、二年生時代は、未だ心身の発達が十分でなく、体格に比して内臓器官の発育も不十分であり、また、情緒面でも、時に感情の赴くまま行動したりして、安定度が高いとはいえない年令層に属するから、このような年代の生徒に危険の伴なう空手を練習させるときには、指導に当る教師において、生徒に対し、練習その他の部活動につき、遵守すべき事項を懇切に教示するとともに、ゆきすぎた練習や暴力行為が行なわれないよう練習に立会い、十分の状況を監視すべき注意義務があるといわねばならない。

したがつて、被告熊本学園の前記主張は採用しえない。

(二)  進んで、右の観点から、本件におけるAの指導監督責任について検討する。

(1) さきに認定した事実と〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

Aは大学時代に空手を習い、初段の技量を有していたことから、付属高校長花田衛に委嘱されて昭和四五年四月から空手部の顧問(部長)となり、本件事故発生当時もその任にあつた。当時における空手部の練習は、放課後前記道場で、主に二年生の被告Y1、同Y2らと一年生が参加して、キャンプの被告Y1の指図により行なわれていたところ、Aは、被告Y1、同Y2が初段であるほか、一年生部員は段も級も有しなかつたことを知つていた。また、A自身も大学時代空手を習つていただけでなく、被告Y1らが一年生のとき、部員と練習中、左胸部付近の骨を痛めたこと等から空手の練習は一つ誤ると生命身体に危険を及ぼすおそれがあることを知つていた。しかも、空手部において、昭和四二、三年頃、上級生が下級生に対し、暴力を振るうという事件があり、Aは、昭和四五年四月顧問(部長)を前任者から引継いだとき、部員を集めてそのような問題を起こさないように注意をしたことがあつた。

(2) しかるに、Aが空手部の運営をキャプテンの被告Y1に任せていて、本件事故当日も同部の練習に立会わなかつたことは当事者間に争いがない。そして、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

Aは昭和四五年四月、付属高校空手部顧問(部長)に就任当初は、部員に注意を与えたり、練習に立会い指導もしていたが、前記のとおり練習中負傷して以来、次第に練習に立会わなくなり、昭和四六年三月、被告Y1がキャプテンになつたが、その当時から練習その他部の運営はキャプテンに任せきりにしており、時折、付属高校の校庭で行なわれている練習を職員室から見たり、帰途、立寄つて一〇分位見てゆく程度で、部活動ことに練習方法等につき部員と話し合つたり、部員に対し守るべき事柄を教えたり、あるいは練習に立寄つて指導するということは殆んどなかつた。本件事故当日もいつものように放課後前記道場で空手部の練習が行なわれることを知つていながら、練習に立会わなかつたばかりでなく、何らの配慮もしなかつた。

〈証拠判断省略〉

(3) 右認定事実に徴すると、Aが空手部の指導教師としてなすべき前記注意義務を怠つたことは明らかであり、しかも、右注意義務を怠らなければ、本件事故が発生せずにすんだ蓋然性は極めて高いといわねばならない。

してみると、Aの右指導の怠慢も、被告Y1、同Y2の前記不法行為と共同不法行為を構成するものというべきである。

(三)  よつて、被告熊本学園が付属高校の設置者であり、Aが同校空手部の指導担当教師であることは、前記のとおりであるから、被告熊本学園は、高等学校教育という事業のため、同教師を使用するものとして、民法第七一五条第一項に基づき、本件により生じた損害を被告Y1、同Y2と各自連帯して賠償する義務あるというべきである。

四損害

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

原告X1は本件事故による受傷のため、本件事故の翌日である昭和四五年二月一八日は学校を休んだが、なお腹痛があるので、翌一九日熊本市二本木の山下内科医院、同市田崎本町の島津外科医院で診察を受けたところ、腹部打撲症(腹膜炎併発)と診断され、翌二〇日から同病院に入院して治療を受け、一旦は軽快したが、その後腹膜炎を再発し、将来手術が必要な状態になつたことから、同病院から同市二の丸の国立熊本病院に紹介され、同年四月五日同病院に転院し、仮性膵のう腫若しくは膵液性腹膜炎との診断の下に治療が行なわれていた。しかし、漸次腹部が膨満し、呼吸困難を訴える等症状が悪化してきたので、同月一二日、開腹手術が行なわれ、腹腔に膵液がもれたため起きた膵液性の腹膜炎と判明したが、内臓の状態から膵損傷部の処置をすることができず、ドレーンを挿入して貯留する腹水を体外に排出する処置しかとりえず、同月一五日から同年五月二三日まで危篤状態が続いた。その後も一日一、〇〇〇ないし二、〇〇〇ccの腹水の排出があり、それが止まると腹膜炎症状をおこす等一進一退を繰り返すという重態にあつた。同年七月に入ると、症状がやや安定し、同月二〇日には歩行も許され、その後腹膜炎が完治したため、同年一一月四日退院した。退院後、一時順調に経過したが、昭和四八年一月余病の肝機能障害が起きたことから、現在まで月に一回国立熊本病院に通院して治療を受けている、勉学には必ずしも差支えないものの、安静が必要で、普通に運動ができないだけでなく、体が疲れ易く、体が暖まると全身が痒くなるという状態である。もつとも、肝機能障害が治癒すれば、常人と変らぬ生活ができるが、いつ治るかは現在のところ不明である。

1  原告X1の蒙つた損害

(一)  治療費 金九万〇七七四円

原告X1は治療費として合計金四〇三万五六六八円を要したが、その内金一九四万四三一〇円は、被告らがすでに支払い、または支払を約していること、および原告X1側で支払つた治療費のうち、原告X2が被保険者となつている健康保険から各病院に支払つた分が、金二〇〇万〇五八四円であり、原告X1が自ら支払つた分が金九万〇七七四円であることは当事者間に争いがない。

しかして、原告X1は右保険給付分を損害と主張するが、第三者の行為による傷害について、保険給付を受けた場合に関する健康保険法第六七条の規定によれば、保険者が保険給付を行なつたときは、その給付の価額の限度で、被保険者らが加害者に対して有している損害賠償請求権は保険者に法律上当然に移転することが明らかであるから、保険給付により被保険者らは加害者に対する損害賠償請求権を失うに至ることも自明のことといわねばならない。してみると、原告X1の右保険給付分についての損害賠償請求権は認められないので、原告X1の右保険給付分に当る治療費の請求は失当である。

なお、前記のとおり、原告X1は治療費として金九万〇七七四円を支払つたが、これは本件事故により生じた損害と認めることができる。

(二)  入院付添費

金五七万〇一〇四円

(1) 職業付添婦分

金九万六一〇四円

原告X1は職業付添婦の入院付添費として合計金二七万五三一一円を要したが、その内金一七万九二〇七円は被告らが支払つたので、原告X1において支払つた職業付添婦の入院付添費は、金九万六一〇四円であることは、当事者間に争いがなく、これは本件事故により生じた損害と認められる。

(2) 原告X2分

金八万五五〇〇円

〈証拠〉によると、原告X1は昭和四七年四月五日から同年一一月四日まで、国立熊本病院に入院して治療を受けたが、原告X2は同年四月五日日から同月一三日までは原告X3と、翌日から同年八月二〇日までは原告X3、職業付添婦と、その後退院までは原告X3とともに、原告X1の付添看護をしたこと、原告X1は同病院でも稀な症例ということから、治療も手探りで進める有様で、原告X2の不安は非常に大きかつたばかりでなく、同年四月五日から同年五月三一日までは原告X1は重態もしくは危篤のため、一日二四時間の付添看護が必要であつたので、原告X2は同年四月五日から同月一三日までは原告X3と、翌一四日から同年五月三一日までは原告X3、職業付添婦とともに、原告X1の付添看護をする必要があつたこと、その余の期間はその症状から原告X3、職業付添婦の付添で足りたことが認められる。

しかして、〈証拠〉によれば、職業付添婦の賃金は、同年四月一四日から同年五月三一日までの間、紹介手数料を別にして、およそ一日金二六三〇円位であつたことが認められ、右事実に、家族労働の特殊性を加味しても、原告X2の入院付添費は、一日金一五〇〇円を下らないものと認めるのが相当である。

したがつて、頭書金額が本件事故と相当因果関係にある損害と認められる。

(3) 原告X3分

金三八万八五〇〇円

前記四の冒頭事実、前記四の(二)の(2)の事実に、〈証拠〉によると、原告X1は昭和四七年二月二〇日から同年四月五日までは島津外科医院に、同月から同年一一月四日までは国立本熊病院に入院して治療を受けたが、原告X3は同年二月二〇日から同年四月四日までは一人で、翌五日から同月一三日までは原告X2と、翌一四日から同年八月二〇日まで原告X2、職業付添婦と、その後退院までは原告X2とともに原告X1の付添看護をしたこと、島津外科医院は完全看護ではなく、同病院の医師から親の付添が必要といわれており、その入院期間中、原告X3が原告X1を付添看護する必要があつたこと、原告X1は国立熊本病院においても稀な症例ということから、治療も手探りで進める状態で、原告X3の不安は非常に大きく、また、原告X1は当時高校一年生であつて、母親である原告X3の付添がまだ必要な年齢であり、殊に、同年四月五日から同年五月三一日までは、原告X1は重態もしくは危篤であつて、一日二四時間の付添看護のため、三人の、翌六月一日から同年八月二〇日まではその病状から二人の、その後退院までは一人の付添がそれぞれ必要であつたこと、そのため、原告X3は、原告X1の国立熊本病院入院中もその付添看護をする必要があつたことが認められる。

しかして、〈証拠〉によると、職業付添婦の賃金は、昭和四七年四月一四日から同年八月二〇日までの間、紹介手数料を別にして、およそ一日金二六三〇円か金二一四〇円位であることが認められ、右事実に家族労働の特殊性を加味しても、原告X3の入院付添費は一日金一五〇〇円を下らないものと認めるのが相当である。したがつて、頭書金額が本件事故と相当因果関係に立つ損害と認められる。

(三)  交通費 金三万五六〇〇円

(1) 原告X1使用分

金一万五六〇〇円

前記四の冒頭事実に、〈証拠〉によると、原告X1は余病の肝機能障害の治療のため、月に一回自宅から国立熊本病院に通院しているが、原告X1には安静が必要であるうえ、体が疲れ易く、体が暖まると全身が痒くなるので、タクシーを利用する必要があつたこと、原告X1は右通院のため、少なくとも二六回往復し、その往復のタクシー代として、一回少なくとも金六〇〇円の支出をしたことが認められる。

したがつて、頭書金額が本件事故による損害と認めるのが相当である。

(2) 原告X2、同X3使用分

金二万円

〈証拠〉によると、原告X2、同X3は、原告X1の前記各病院への入院期間中、急を要する原告X1の栄養補給の食物購入等の用事で、タクシーを度々利用したことが認められる。しかして、その交通費は合計金二万円を限度として認めるのが相当であり、これは本件事故により生じた損害と認められる。

(四)  日用品雑貨購入費

金九万〇六五〇円

原告X1が日用品雑貨購入費として金九万〇六五〇円を支払つたことは、当事者間に争いがなく、これは本件事故により生じた損害と認められる。

(五)  丁字帯、腹帯、尿器等の購入費

金三万二〇五〇円

原告X1は右購入費として金三万二〇五〇円を支払つたことは当事者間に争いがなく、これは本件事故による損害と認められる。

(六)  貸布団代 金七〇〇〇円

原告X1は貸布団代として合計二万一二八〇円を要したが、その内金一万四二八〇円は被告らが支払つたので、原告X1が支払つた貸布団代は金七〇〇〇円であつたことは、当事者間に争いがなく、これは本件事故により生じた損害と認められる。

(七)  栄養補給費

金一九万四八〇〇円

前記四の冒頭事実に、〈証拠〉によると、原告X1は膵液性腹膜炎のため、昭和四七年四月五日から同年六月末までは重態もしくは危篤の状態にあり、正常のときには六四―五キログラムあつた体重が、最悪のときは三〇キログラム台になり、同年七月二〇日は四一キログラム、同年八月二〇日は45.7キログラムである等体力の消耗が激しかつたばかりでなく、原告X1は国立熊本病院でも稀な症例で両親である原告X2、同X3の不安は大きく、しかも原告X1は病院食が嗜好に合わなかつたり、同病院の医師から、体力をつけるため、病院食以外で原告X1の欲する食物があれば与えるように指示され、また、同病院退院後現在に至るも肝機能障害があるので、低脂肪、高蛋白の食品を摂るように指導されていること等から、原告X1は昭和四七年六月一日以来、栄養補給のため、特別に果物、低脂肪、高蛋白の魚、肉等を摂つていることが認められる。

しかして、原告X1が本訴において請求している昭和四七年六月一日から昭和五〇年一月三〇日までの右栄養補給費は、右認定の事実関係に照らすと、同期間を通じて一日につき金二〇〇円を限度として認めるのが相当ある。

したがつて、頭書金額が本件事故と相当因果関係にある損害と認められる。

(八)  慰藉料 金二〇〇万円

前記認定の本件加害行為の態様、原告X1の受傷の部位・程度、入通院期間、とくに原告X1が受けた肉体的苦痛と危篤状態が相当期間続いた病状および治療の経過、本件が教育活動の時間中に発生したこと、また、高校一年生という感受性の鋭いときに、原告X1が本件加害行為によつて前記傷害を受けた衝撃はかなり大きいものであると思料されるうえ、その治療のため同級生より一年遅れて二年生になつただけでなく、三年に進級後も、出席すべき日数一九一日のうち七六日の欠席を余儀なくされ、昭和五〇年に付属高校を卒業したが、大学へ進学できないため、将来の計画が定まらないでいること、前記入院中の治療、手術により、腹部真中に約二五センチメートルの手術痕、腹部左右に七か所ドレーン挿入の跡が残つていること、現在も肝機能障害のため国立熊本病院に月一回通院し、検査、治療を受けているが、その費用が一回約金四〇〇〇円、その他に栄養補給費を要するところ、右疾病がいつ治るか不明で、将来が不安であるだけでなく、今後も前記費用がかかることが〈証拠〉によつて認められる。

他方、被告らは、前記のとおり原告X1の治療費、付添費等の一部を負担しているほか、本件事故の見舞金として、原告X1に対し、被告Y1から金一〇万円が贈られ、また、〈証拠〉を総合すれば、被告熊本学園関係者からタクシー代金六万〇八一〇円を含めて金四六万三八一〇円相当の見舞金品が贈られたことが認められる。

以上認定の事実と本件に顕れた諸般の事情を斟酌すると、本件事故によつて、原告X1が蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料は、金二〇〇万円と認めるのが相当である。

2  原告X2、同X3の蒙つた損害

慰藉料 各金三〇万円

第三者の不法行為によつて身体を害された者の両親は、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべき、または右場合に比して著しく劣らい程度の精神上の苦痛を受けたときに限り、自己の権利として慰藉料を請求できるものと解すべきところ、本件において、原告X1の前記受傷によりその両親である原告X2、同X3が多大の精神的苦痛を味わつたであろうことは十分推察しうるところであり、これと前記認定の原告X1の傷痕、病状および治療の経過、今後の原告X1の余病の回復の見通し等を併せ考えると、原告X2、同X3両名の慰藉料請求権はこれを認めるのが相当であり、その数額は各金三〇万円をもつて相当と考える。

五結論

よつて、原告らの本訴請求は、被告らに対し、原告X1において、金三〇二万〇九七八円、原告X2、同X3において、各金三〇万円のいずれも連帯支払を求める限度において理由があるから、これを認容することとし、原告らのその余の請求はいずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(糟谷忠男 中野辰二 山口博)

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